Google Mapで訪ねる主の路程(7)-地下独立運動と戸塚警察署、四谷見附橋の格闘、四谷・品川の貧民窟(後編)


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第7回(後編)-地下独立運動と戸塚警察署、四谷見附橋の格闘、四谷・品川の貧民窟

「Google Mapで訪ねる主の路程」は、文鮮明先生がお生まれになり歩まれた場所や、死の道を何度も越えていかれた文先生の苦難の歩みとそのゆかりの地をGoogle Mapで訪ねるコーナーです。第7回後編は、地下独立運動をしていた若き日の文先生が、四谷見附橋で欄干(らんかん)の柱を抜いて特高警察と格闘したとされるエピソード、「四谷見附橋の欄干」にまつわる、まだ知られていない興味深い情報です。

〈お断り〉ここで紹介する内容は、Web担当者が独自に研究・推論したものであり、すべて確証が得られているとは限りません。また統一教会本部の公式見解でもありません。あくまで参考情報としてご覧になってください。より正確な情報や確実な情報をご存じの方はご一報ください。

四谷見附橋に使われていた欄干が保管・展示、しかも壊れた跡が…

文先生が抜いて戦ったという四谷見附橋の欄干(らんかん)の柱とは、いったいどんなものだったのだろう?と想像をふくらませながら、調べていくと、大正時代の四谷見附橋が移設・復元されていること、当時の四谷見附橋の欄干が新宿区歴史博物館に保管・展示されていることをつきとめました。

そこで、現在の四谷見附橋の欄干、および新宿区歴史博物館に展示してある当時の欄干を見てきました。まずは現在の四谷見附橋です。

現在の四谷見附橋 欄干の銘板に「大正二年九月成」の文字
▲道路拡張で付け替えられた現在の四谷見附橋。当時の欄干がほとんど再利用されている。欄干中央の
銘板には「大正二年九月成」の文字。塗装し直されているが欄干は当時のものがそのまま使われている。

次に、四谷見附橋から徒歩10分の場所にある新宿区歴史博物館に行きました。新宿区歴史博物館の正面玄関脇に四谷見附橋の欄干「高欄」が保存・展示されています。

四谷見附橋「高欄」を解説した説明版 四谷見附橋に再利用できなかった欄干
▲新宿区歴史博物館に展示されている四谷見附橋の欄干「高欄」の説明版と実物。

説明版によると、四谷見附橋の竣工は1913(大正2)。平成2年の架け替え工事で、古い橋は、八王子市の長池公園(南大沢)に移築・復元された一方、それまでの欄干はきれいにされ、新しい四谷見附橋に再利用されたとあります。そして「再使用できない部材の一部が当館に寄贈された」と記述されています。再使用できないとは、あたかも壊れた部分を修理したところがある部材、という意味に受け取れました。

展示してある欄干の実物 修理の跡が見られる

よくみるとまん中の三本だけが色・材質が違います。欄干上部に修理してはめ込んだような形跡もみられます。間違いなく壊れた跡です。修理してあるために、現在の橋には、再使用されなかったのではないかと類推できます。

大正9年竣工当時の四谷見附橋 八王子市長池公園に移設・復元された橋
▲説明版に載っている大正9年竣工当時の四谷見附橋のようす。(左)
/八王子市にある長池公園に移設・復元されている当時の橋。(右)

大正時代の四谷見附橋の本体は現在、八王子市にある長池公園に移設・復元されています。橋の主要構造物は再利用されており、こちらの橋の欄干は複製物だということです。
 

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