12月2日(天暦10月19日)礼拝テーマと内容


12月2日(天暦10月19日)礼拝テーマと内容

■説教内容 『父母の願いは入籍』  (鈴木和章・教区副教会長)

・ビデオ上映 霊界から帰ってきたシカゴ在住の牧師の証し

・ビデオ上映 真の父母様の動向と追慕の記録(下は追慕の映像)

・基元節まであと100日を切ったこのとき。前回11月11日には「本然の世界」という題で説教を行った。
・神が森羅万象を作ったその土台の上で、人類始祖であるアダムとエバを誕生させたときはこの上なくうれしかったに違いない。しかし、その人類始祖が堕落した後は、この上なく悲しみが広がり、続いて生きた。
・大自然は、共生共栄共存が行き届いている世界だ。たった一つが変化することで全体に影響するような仕組みができあがっている。
宮沢賢治と心象スケッチ『春と修羅』・前回も取り上げた宮沢賢治の世界。宮沢賢治によれば、世界全体幸福にならなければならない、と述べている。
・宮沢賢治の心象スケッチである詩集『春と修羅』では、物理の内容や星の世界、英語・仏語など、さまざまな内容が多岐に渡っているが、すべてに精通した本然の世界が描かれている。花や虫、星に至るまで、本然一つになった世界は、まさに賢治の描いた理想郷、“イーハトーブ”である。
・それに対し、人間社会が築き上げた産業・文化・芸術などは、本然の世界から比べると、比較の対象にすらできないような基準である。
・基元節から出発していく本然の世界、そこに到達するまでどのくらいかかるかわからない。これまでは蕩減を果たすために摂理を進めてきた。蕩減時代は早く終えることが重要である。
・さまざまな思想、政治、宗教があったが、本当に幸福になれた人がいただろうか? 誰も見出せない。そういう事実に通じれば通じるほど、宮沢賢治が綴った世界が実感できる。
・孔子が訓示した論語の中に、「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死しても可なり」という教えがある。朝に人としての大切な道を聞いて悟ることができれば、その晩に死んでも心残りはないという意味である。
・今日、取り上げた平和神経に収録されている平和メッセージ。このみ言では、文先生は、第一次大戦、第二次大戦を経てきた人類が、再び第三次大戦を迎えてしまうのかどうか、試練に立たされていると訴えている。その根拠は、現代の世界の中で際だつ中国の覇権主義である。今の中国は力を誇示し、あわよくば拡張していこうとする体質を持ち続けている。
・しかし、今は基元節を迎えようとするときであり、本然に向かう大切なときである。これまで本然に向かって歩んできた内容を考えると、最高の日であり、最上の日である。そのように心の中でどのように本質をとらえられるかが大事だ。
七死復活だった文先生の生涯・文先生は、何度も、拷問や強制労働など、死の境を越えてこられた。それを越えてこられたのは、「絶対生きるんだ」という確固たる強い意志があったから。
・現代日本では、毎年3万人もの人が自殺して亡くなっている。自殺の理由には、借金を苦にしたものが多いという。
・文先生の生涯の中で、サタンがさまざまな試練をしかけてきたが、絶対に生きるという強い意志を常にもっていた。しかし試練がすごければ、死んだ方がよいという気持ちになるもの。
・荒れた外洋に船で乗り出せば、だれかれも皆、酔ってしまう状態になる。酔いが激しくなると、やがて胃液が出、血まで吐いてしまう。そうなると、人は死んでもいいから陸地に上がりたい、という気持ちになるそうだ。
・文先生が9月3日に聖和されて何ヶ月かたつ。なぜ聖和されていったのか、基元節の意味が深くわかった上で初めて理解できる。
・たとえパソコンのプレゼンテーションソフトをうまく使って、基元節の意義をいくら説明したところで、どれほど深く実感でき、基元節を理解することができるだろうか。
・聖和された意義は、お母様の(表に明かされない)境地をいかに理解できるかがポイントになる。
・以前、八大教本の中に入れる原理講論のむずかしさが議論のテーマになったとき、文先生は「いくら理解しやすいような説明をわかりやすくしたとしても、わからない者にはわからない」と話され、原理講論はそのまま収納された経緯がある。

真の父母様・そこで文先生ご夫妻を「真の父母」と呼ぶ意義と尊い価値について、理解を深めてみたい。
・伝道をしていても、統一教会を名乗ると、それだけで拒絶反応が強く、伝道は本当に簡単なことではない。教会のことや文先生のことを話していくのも一苦労である。
・それを考えたとき、「真の父母」という言葉はあまりにも偉大である。
・「真の父母」は神の創造以前から、創造理想としてあった。「救世主」「メシヤ」「再臨主」はどれも重要な意味があるが、「真の父母」とは比較にならない。「真の父母」は堕落の関係もない。
・建国の父と呼ばれるワシントンやガンジー。救世主であるイエス様。それに対して、「真の父母」という言葉は、どれほど偉大な言葉だろうか。
・堕落人間が救世主、メシヤになる道は永遠にない。あくまで堕落人間がメシヤに侍っていく立場。それに対して、「真の父母」は時がたてば、真の子女も自然に出る。真の子女はやがて真の父母になっていく。
・「真の父母」が打ち出されたことは、“真の子女”になり、やがて“真の父母”になる道が引かれたということ。基元節は“真の子女”となる道であり、そこから“真の父母”にもなりうる道ができることになる。
数え16歳イースターの朝、イエス様から使命を託された文先生・文先生が歩まれたご苦労の道。数えで16歳のときにイエス様に出会った際、ご自身の公生涯を出発されたときから、基元節の意味をはっきりわかっていた。既に、親なる神様の心情圏を熟知しておられた。しかし、世間の誰に向かって、その内容を説明できただろうか。
・聖和される時がこのときと、文先生は天命を受けとめて霊界に行かれた。普通に考えたら、誰よりも基元節を迎えたいのは、真のご父母様である。しかし、天命を受け、わかりました、と受けとめて天上に行かれた。

・血統の問題では、堕落人間はサタンに侵害されている事実を知らなくてはいけない。立派な人、すばらしい人ほど、自分の根底にある邪心が痛いほどわかる。
・たとえばパウロの嘆き。自分の中に別の律法があって、どうすることもできないと嘆いた。さまざまな人は、この本質問題に気づいている。しかし、わかっていても解決できないのは、堕落の根本原因を知らなかったから。
・統一原理には、キリスト教の神学的内容がふんだんに織り込まれている。創造原理、堕落論、復帰原理の内容は、キリスト教徒の深い悩みや、疑問に対して、ことごとく解き明かしている。本然の世界を伝え、堕落という罪の問題に切り込み、救済である復帰の道筋を示し、世の中に訴えているところは、他のどこもない。
・その中でも特に、罪の根の問題、堕落の問題がまったくわからなかった。愛の減少感に端を発して、サタンによる堕落した結果の血統問題は、まったく解明できず、これまで解決のしようがなかった。それは何より血統の問題だから。
・それらを考えると、“ために生きる”真の愛の内容が、どれほど尊いことだろうか。真の愛により、血統が転換され、そして心情が転換されて、所有権の転換がされていく。文先生が今日までひたすら示してくださった内容が“ために生きる”真の愛である。
・私はこれまで神様の摂理、教会の活動に身を捧げてきたが、その途上では家庭を犠牲にせざるを得ないと思ってきた。私には出世欲も金銭欲もなかったが、もともと家庭や家族が大切と思ってきた人間。家庭を犠牲にせざるを得ないと考えていたのにもかかわらず、最近になってようやく、そうではないことがわかってきた。

・心情転換、血統転換ということがどれほど大事か。真の父母という親がいることがどれほど貴重か、私の体験を証したい。
・私には子どもが4人いる。勉強する子、あまり勉強しない子がいるが、勉強しろとうるさく言ったことはなく、それよりも、傲慢になったり、偉ぶったりすることだけは、いけないことだと言い聞かせてきた。
・最近、いちばん上の娘が21日修練会に参加した。実は、私の異動の関係で、岩手や青森に人事になったり、8つの県をまたいで引っ越しを重ねていた頃、ちょうど中学生期の歳頃だった娘は、引っ越しが嫌だと言って難色を示したことがある。一時期は、自分は要らない子、死んだ方がまし、とさえ言っていたこともあった。
21日修練会の感想文・その娘が最近、21日修練会に参加し、その19日目の感想文が、修練会スタッフから私に送られてきた。そこにはこんなことがつづられていた。
「現代の時代がとても深刻な時代だということがわかった。私はいったい何をしていたのだろう? 私に託された願いを知った今、お父様はもうこの世にいない。もし私が逃げてしまったら、すべてを無駄にしてしまう。自分が死んだ方がまし、などと考えているどころでは、もはやなくなった。どうしたらお父様に恩返しできるのか、どうしたらこれまで無駄にしてきた罪滅ぼしができるのかを真剣に考えたい。神様に対しても、同じことを考えたい。必死の思いでこの信仰の道を行かなくてはいけないことを実感した。」
・この感想文は、彼女の本心が言わせた内容に違いない。何よりも、真の父母によって受けた血統転換が、心情転換に変わり転化されていく典型的な姿だと思う。
・彼女はこうも言う。「アフリカに行って子どもたちを救いたい」のだと。こんな彼女の理想を聞くと、自分の教育だけでこのようになったとは到底思えない。神様が働き、真の父母によって、このように心情が転換されていったと実感する。
・世界の平和がなしとげられるためにも、(神様への)所有権転換がされないといけないが、その前に必要なのが、血統転換であり、心情転換だということ。理想家庭は3代でなされるとも言う。
・具体的に神の理想である天一国、神の国の理想を一歩一歩進めていくのは、真の父母様の願いでもある。
・基元節の日、重要であるというその日を迎えることになったとき、どれだけのことを実感でき、体験できているか。絶対信仰、絶対愛、絶対服従の理想もそのときから出発するのである。天一国の出発は、やがて大きな意味合いをなして行くことだろう。
・宋総会長が国民キャンペーンとして打ち出した「神様、真の父母様、愛しています」は、それまでの宋総会長の心情を尽くされ、誠を尽くされてきた歩みから出たみ言である。「愛しています」は、親に対する罪滅ぼしでもあり、真の愛である。
・だからこそ、精誠を込めて2013年天暦1月13日を迎えよう。


■み言訓読  平和神経より

平和メッセージ2「神様の理想家庭と平和理想世界王国(4)」

<宗親たちの使命>

皆様、私たちが世の中を生きていってみれば、たくさんの因縁と関係が、必然的に私たちの人生に影響を及ぼすようになることを発見します。ところが、大部分の因縁は、人間の恣意による選択権の中で結ばれるようになります。皆様が置かれた環境や与件の中で、必要によって結ばれる因縁だというのです。このような因縁は、後天的な因縁であり、人間の努力いかんによって、いつでも変えたり、なくしたりできる人倫的次元の因縁にすぎません。

しかし、生まれる時から天が賦与してくださった天倫は、私たちの選択権の外にある因縁であり、関係です。血縁だからです。父母や兄弟を、嫌いだからといって変えたり、選挙で選ぶことができないのも、それが血縁的関係だからです。一度、金氏の家門の子女として生まれれば、永遠に金氏の家門の血統をもって生きるようになるのです。

ところが、今も人類が罪悪の落とし穴から抜け出すことができずにいる理由は何でしょうか。最初からサタンの偽りの血統を受けて生まれたからなのです。摂理的なみ旨と目的をおいて天が授けてくださった、先天的で原理的な血縁ではなく、人間の失敗によって引き起こされた後天的で非原理的な関係だという意味です。

言い換えれば、たとえ堕落して父母を失ってしまった孤児の立場になったとしても、天が下さった父母と子女の間の根本関係がなくなったのではありません。堕落して無知な植物人間となり、父母が厳然として生きていらっしゃるのに、気づくことができずに生きる目の見えない人生になってしまったのです。

したがって、堕落の血統を所有している人間は、誰彼を問わず、例外なく血統転換を経て再び生まれなければなりません。その道だけが、神様が下さった創造本然の血縁に還元する唯一の道だからです。

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