Google Mapで訪ねる主の路程(9)-満州と満州電業安東支店/龍山(ヨンサン)の鹿島組京城支店


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第9回-満州と満州電業安東支店/龍山(ヨンサン)の鹿島組京城支店(1944年3月~10月)

「Google Mapで訪ねる主の路程」は、文鮮明先生がお生まれになり歩まれた場所や、死の道を何度も越えていかれた文先生の苦難の歩みとそのゆかりの地をGoogle Mapで訪ねるコーナーです。第9回は、文先生が留学から帰った後、いったん就職が決まりながら1944年2月に取り消しに行かれた満州にある安東市(現・丹東市)の満州電業安東支店、その後新たに就職が決定、1944年3月から10月まで勤務されたソウル市龍山(ヨンサン)にあった鹿島組京城支店です。

〈お断り〉ここで紹介する内容は、Web担当者が独自に研究・推論したものであり、すべて確証が得られているとは限りません。また教会本部の公式見解でもありません。あくまで参考情報としてご覧になってください。より正確な情報や確実な情報をご存じの方はご一報ください。

満州・安東市(現・中国 丹東市)の満州電業安東支店 跡


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※満州電業安東支店の住所が「市場通」だった記録からその街路沿いにプロットしています

安東市の街の風景
戦前の安東市の街の風景

安東市と新義州市
鴨緑江をはさんで接する安東と新義州-1930年発行の『新世紀日本地図』
当時の両市は満州国と日本統治下の朝鮮の都市、現在は中朝国境の重要都市となっている

安東市の市街図 満州電業安東支店の住所
戦前の安東市の市街図/満州電業安東支店の住所「安東市大和区市場通」

満州国の大手国策会社:満州電業 満州電業のパンフ
満州電業は満州国と日本の大手国策会社でもあった-満州電業のパンフより

満州国全体図(クリックで拡大)
文先生が勤務地として考えていた海拉爾(ハイラル)はソ満国境に近い町
戦前の満州国地図より(クリックすると拡大表示します)

ソウル市龍山区の鹿島組京城支店 跡
京城府漢江通13番地(現・ソウル市龍山区漢江路2街)


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※『生涯路程』に記載されている厳徳紋先生の手書き地図をもとにプロットしています

1946年当時の地図より龍山駅周辺
韓国語読みの「ヨンサン」と日本語読みの「リュウザン」が
並記されている1946年米陸軍発行の龍山駅周辺地図

鹿島組が建設した京仁鉄道の漢江鉄橋 美しい戦前の龍山駅駅舎
(左)鹿島建設の歴史資料によると、戦前の鹿島組は京仁鉄道(現・京仁線)京義鉄道(現・京義線)
京釜鉄道(現・京釜線)などの鉄道建設を一手に引き受けていた/(右)美しい戦前の龍山駅駅舎


『平和を愛する世界人として-文鮮明自叙伝』(P.90~P.92より引用)

彼女はとても由緒ある家庭で生まれ育った真心を尽くす女性でした。小学校しか出ていませんでしたが、ほんのわずかでも人の世話にはならないという性格で、神社参拝を拒否して十五歳で獄中生活をしたほど、信念のある信仰深い女性でした。私は二十四番目の新郎候補だったそうで、彼女は新郎を選びに選んだのです。しかしながら、ソウルに戻った私は、見合いをしたことさえ忘れてしまうほど切迫した心情にありました。

私はもともと、留学から戻ったら、中国、ソ連、モンゴルの国境都市である中国の海拉爾(ハイラル)に行く計画でした。満州電業株式会社に就職して三年ほど生活しながら、中国語とロシア語、モンゴル語を学ぼうと考えていました。日本に打ち勝つために日本語を教える学校に通ったように、来るべき未来に備えようと、三国の国境地域に行って外国語をいくつか学ぶつもりでした。ところが、当時、情勢が尋常ではありませんでした。どうしても満州に行ってはならないようで、就職予定を取り消しに満州電業安東支店(安東は鴨緑江の対岸にある現在の中国・丹東)に行きました。そこで手続きを終えた後、故郷の定州に戻ってみると、お見合いを準備してくれた婦人が大騒ぎを起こしていました。婚約した女性が私でなければ嫁に行かないと言い張って大変だと言うのです。私を見るやいなや女性の家に連れて行きました。

私は彼女に、これから私がどう生きていくかをはっきりと話しました。

☆                   ☆

自炊していたソウルの黒石洞(フクソクトン)で新婚生活を始めました。「まあ、まるで卵を扱っているみたいで、どれだけ美しいお嫁さんなのかしら」と言った下宿屋のおばさんの言葉どおり、私は妻を心から大事にし、愛しました。

当時の私は、龍山(ヨンサン)にある土木会社の鹿島組京城営業所に就職して、会社の仕事と教会の仕事を一緒にしていました。ところがその年の十月、新婚の家に突然日本の警察がやって来て、「早稲田大学の経済学部に通っていた誰それを知っているか」と尋ねるなり、答えも待たずに私を京畿道警察部に連行しました。


『真の御父母様の生涯路程1』 第六節「解放直前の最終準備」より引用

<「満州電業」行きの変更と郭山訪問(1944年2月初旬)>

ハルピンの北にハイラルという所があります。日本から帰ってくる時、満州電業という電気会社に就職して、そこへ行って住もうとしたのです。そこに行こうとしたのは何のためだったのでしょうか。ソ連の言葉を習い、中国の言葉を習い、蒙古の言葉を習おうとしたのです。アジアにおける大陸基地のことを考えて、三年間、言葉を習うために行こうとしたのです。

満州の安東に満州電業がありました。その後、その支店に行こうとして、よく見ると、情勢が不安定なのです。満州に行ってはならないのです。それで安東に、就職したすべてのことを取り消しに行きました。行きもせずに辞表まで添付して、費用までみな持って安東に行き、支店長に会って清算して出てきたのです。

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<鹿島組京城支店電気部就職(1944年3月ごろ)>

その時、あの鹿島という会社があったのです。日本に行けば、その本社は大きい電気会社(※正しくは土木会社)でした。私は昔、鹿島組の電気部に勤務していました。

先生は職場に行くにも、一番早く行って、一番遅くまで仕事をしたのです。そのような訓練をしたのです。一番にならなければ気分が悪いのです。あとには、一番貴い者になるのです。その人が引き継ぎ者、その人が主人になるのです。同じなのです。天のみ旨に対して朝早くから起きて、一生をそのようにする人が主人になるのです。天の国の主人になるのです。


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