連載:Google Mapで訪ねる主の路程


『平和を愛する世界人として』「Google Mapで訪ねる主の路程」は、文鮮明先生がお生まれになった地や、生涯歩まれた場所にスポットを当て、死の道を何度も越えていかれた文先生の苦難の歩みとそのゆかりの地を Google Map で訪ねるコーナーです。 その地、その場所を探し求めながら『平和を愛する世界人として』(文鮮明師自叙伝)や「真の父母様の生涯路程」の一文を紹介します。文鮮明先生ゆかりの地をさらに深くイメージしながら訪ねてみましょう。

2012年~2014年に個人研究の内容に基づき作成・発表したこの連載ですが、ほぼ10年経過した現在でも、多くの方々に閲覧され続けています。公式見解でないにもかかわらず、ご覧いただいている皆様には、感謝の念にたえません。
実はこの連載後、日本留学時代でのゆかりの地研究で大きな進展がありました。文先生が訪問したと推定される品川貧民窟の跡地が判明したり、文先生がピンはね率が高いと抗議した親方がいた造船所近くの飯場跡地が判明するなど、さまざまな事実が明らかになりました。さらに深めた研究成果をもとに「東京・神奈川の知られざる聖地巡礼ウォーキング」企画を西東京教区壮年部主催で実施するようになりました。また、ゆかりの地探究を進める関係者仲間によって、早稲田高等工学校の植林地跡地で「稲工報国林」と名付けた場所(1943年4月に早稲田大学が土地取得)が八王子市内に見つかりました。
連載記事一つ一つを取ってみても、追加や訂正すべき部分があります。将来的にアップデートするか、一から書き直すかどちらかしなければいけないと考えています。今回、パッチワークを当てるように資料の追加、加筆、訂正を加えました。従来の記事をお読みいただいた方でも一目でわかるよう、ピンク色に色づけした枠組み部分でこれらの個所を示しました。必要に応じて各記事冒頭に追加内容や訂正内容のポイントを列挙いたしました。これまでよく読んでいただいた方には、ピンク色部分を中心にご覧いただければ幸いです。(2022年6月筆者記)

第1回 定州の生家 2012.10.24掲載 2013.7.6更新
文先生の生家が記載された1919年発行「定州」地図が出てきた

第2回 五山学校と定州普通学校 2012.11.1掲載 2013.4.25更新 2013.7.11更新 2014.7.17更新
文先生が定州普通学校に在学していた時期の「定州」地図に加えて、さらに五山学校の地図を確認

第3回 猫頭山(ミョドゥサン) 2012.11.7掲載 2013.7.11更新
1919年発行「定州」地図で見た生家から猫頭山へ登る道をたどる

第4回 黒石洞(フクソクトン)と京城商工実務学校 2012.11.14掲載 2013.6.1更新
文先生が住んでいた時期の「京城府」地図から黒石洞を眺める-漢江の広い河原と西氷庫の町

第5回 釜山港から日本留学に発つ 2012.11.22掲載 2022.6月追加更新
京釜線の列車と関釜連絡船を乗り継ぎ、釜山の山影と街明かりを見ながら日本留学に発つ文先生

第6回 早稲田高等工学校留学と旧・戸塚町の下宿 2012.11.27掲載 2022.6月追加更新
早稲田・高田馬場聖所巡礼の中心地は若き日の文先生の汗と涙がしみこんだ聖地

第7回〔前編〕地下独立運動と戸塚警察署、四谷見附橋の格闘、四谷・品川の貧民窟
2012.12.2掲載 2022.6月追加更新 地下独立運動と貧民窟救済に身を呈した文先生/四谷は一大貧民窟があった場所
第7回〔後編〕地下独立運動と戸塚警察署、四谷見附橋の格闘、四谷・品川の貧民窟
2012.12.2掲載 2022.6月追加更新 四谷見附橋に使われていた欄干が新宿区歴史博物館に展示、しかも壊れた跡がある

第8回 東京・銀座、川崎の製鉄所/横浜・鶴見の造船所 2012.12.7掲載 2022.6月追加更新
文先生が日雇いで働いた製鉄所は日本鋼管 京浜[川崎]製鉄所、造船所は日本鋼管 鶴見造船所だった

第9回 満州と満州電業安東支店/龍山(ヨンサン)の鹿島組京城支店 2012.12.12掲載
就職を取り消した満州電業安東支店は国策会社、就職した鹿島組京城支店は龍山にあった

第10回 京畿道警察部による逮捕と拷問 2012.12.16掲載
京畿道(キョンギド/けいきどう)警察部 京畿道庁は、光化門の前にあった

第11回 解放前と光復 三角山・北岳山/定州郡郭山支署での拘留/上道洞(サムドドン)のイスラエル修道院 2012.12.22掲載
自叙伝に何度か登場する三角山は北漢山のこと/イスラエル修道院の上道洞は黒石洞の目と鼻の先だった

第12回 黄海道 白川(ペクチョン)から38度線を超えて 2012.12.22掲載 2022.6月追加更新
北に行けと神の命令を受けた黄海道白川、38度線はまさにその町はずれにあった

第13回〔前編〕平壌での活動と景昌里(キョンチャンリ)集会所 2012.12.30掲載 2013.12.7更新 2022.6月追加更新
平壌の景昌里での集会所の位置はなんと現在の万寿台議事堂の敷地内だった

第13回〔後編〕平壌での活動と景昌里(キョンチャンリ)集会所 2012.12.30掲載 2013.12.7更新 2022.6月追加更新
文先生が平壌で伝道活動をしていた景昌里集会所の場所が万寿台議事堂の敷地と考えた根拠

第14回 大同保安署での拘留と拷問 2013.1.14掲載 2013.12.7更新 2022.6月追加更新
大同保安署は平壌の有名な観光名所、凱旋門前広場にあった

第15回 平壌内務署逮捕と平壌刑務所への収監 2013.1.23掲載 2022.6月追加更新
平壌内務署は “Military Police”「憲兵隊警務部」の場所、法廷は “Court”「平壌覆審法院」の場所だった

第16回 興南収容所と興南窒素肥料工場の強制労働 2013.2.6掲載 2022.6月追加更新
自叙伝の記述通り、興南工場の西約3~4kmの場所に本当に収容所があった

第17回 国連軍による元山(ウォンサン)上陸作戦と興南解放 2013.3.5掲載 2022.6月追加更新
興南西方の幹線道路を歩く国連軍-そこは興南解放の後、文先生一行が歩いて平壌に向かった道
日本も朝鮮戦争に秘かに参戦、元山沖合いの機雷除去掃海作戦を秘密裏に行っていた

第18回 国連軍・韓国軍の撤退と平壌から南下/臨津江での祈祷 2013.4.10掲載 2013.4.19更新 2022.6月追加更新
文先生たちが平壌から南下し臨津江を渡った日時が朝鮮戦争の米軍地図史料から裏付けられた

第19回 釜山・厳徳紋氏との再会/草梁(チョリャン)駅前の労務者宿所/釜山港第四埠頭 2013.5.28掲載
草梁駅前の下級労務者宿所に寝泊まりしながら釜山港第四埠頭で労働されていた文先生

第20回 釜山・ポムネッコルと土壁の家 2013.7.2掲載
金元弼先生と寝起きをともにしながら、原理原本を執筆した釜山・ポムネッコルと土壁の家

第21回 世界基督教統一神霊協会の看板を掲げた北鶴洞(プカクドン)の地 2013.7.16掲載
なぜか関心を持たれなかった北鶴洞(プカクドン)の場所、今は新堂洞(シンダンドン)に

特別編-ついに見つかった!興南収容所の写真 2013.7.21掲載 2022.6月追加更新
文鮮明先生が1948年から収容された興南収容所、元は日本軍の作った戦争捕虜収容所だった

特別編-そこは41年前の景昌里(キョンチャンリ)だった 2013.12.7掲載 2022.6月追加更新
文鮮明先生が1991年に金日成主席と会談する前、万寿台議事堂で演説した場所、そこは41年前の景昌里だった

特別編-文先生が留日時代に造船所で労働されていた場所がピンポイントで判明 2014.7.19掲載 2022.6月追加更新
日本留学時代に横浜・鶴見の日本鋼管鶴見造船所で労働されていた場所が明らかに


ファミリー・フォーラム(FamilyForum.jp)に同じ記事がダイジェストとして紹介されているもの
これらの記事は今回2022年6月での追加・訂正・加筆などを一切行っていません。
┣━自叙伝にある「柱を抜いて警察と戦った四谷見附橋の欄干」が発見された? 2012.12.4
┣━文鮮明先生が逮捕され壮絶な拷問を受けた「京畿道警察部」の場所が明らかに 2012.12.19
┣━平壌の景昌里での集会所は現在の万寿台議事堂の敷地内だった! 2013.1.1
┣━大同保安署は平壌の有名な観光名所、凱旋門前広場にあった! 2013.1.15
┣━共産軍政下で捕らえられた平壌内務署と法廷、平壌刑務所の場所が明らかに 2013.1.24
┣━自叙伝通り興南工場の4km西に収容所があり文先生を含む囚人たちが歩いた”道”が明らかに 2013.2.7
┣━文先生たちが平壌から南下し臨津江を渡った日時が朝鮮戦争の米軍地図史料から裏付けられた 2013.4.11
┣━文鮮明先生が定州普通学校に在学していた時期の「定州」地図が出てきた 2013.4.26
┣━草梁駅前の下級労務者宿所に寝泊まりし釜山港第四埠頭で労働した文先生の足跡をたどる 2013.5.30
┣━文鮮明先生が黒石洞に住んでいた時期の地図から黒石洞と西氷庫、漢江の広い河原を眺める 2013.6.6
┣━文鮮明先生の生家が記載された1919年発行「定州」地図が出てきた 2013.7.7
┣━なぜか関心を持たれなかった世界基督教統一神霊協会の看板を掲げた北鶴洞の場所が明らかに 2013.7.16
┣━[特報レポート] ついに見つかった!興南収容所の写真 2013.7.21
┗━コラム[特別編] -そこは41年前の景昌里(キョンチャンリ)だった 2013.12.7

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