Google Mapで訪ねる主の路程(6)-早稲田高等工学校留学と旧・戸塚町の下宿


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第6回-早稲田高等工学校留学と旧・戸塚町の下宿
21歳(1941年4月)~23歳(1943年9月)

「Google Mapで訪ねる主の路程」は、文鮮明先生がお生まれになり歩まれた場所や、死の道を何度も越えていかれた文先生の苦難の歩みとそのゆかりの地をGoogle Mapで訪ねるコーナーです。第6回は、文先生が日本留学先であった早稲田高等工学校 電気工学科と戸塚町の下宿です。

〈お断り〉ここで紹介する内容は、Web担当者が独自に研究・推論したものであり、すべて確証が得られているとは限りません。また統一教会本部の公式見解でもありません。あくまで参考情報としてご覧になってください。より正確な情報や確実な情報をご存じの方はご一報ください。

高田早苗総長像の前にて学友と
高田早苗総長像の前にて学友と

早稲田高等工学校 跡(現・早稲田大学 15号館・16号館校舎付近 )


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戦前の早稲田大学界わいを描いた絵地図
聖所巡礼パンフレットで使われている戦前の早稲田大学界わいを描いた絵地図を見ると、早稲田高等工学校 電気工学科は、現在の早稲田大学15号館・16号館校舎付近にあったことがよくわかります。

旧・戸塚町(現・高田馬場2丁目)にあった下宿付近


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旧・戸塚町の下宿のあった界わい
旧・戸塚町界わいを描いた絵地図

1941年発行の大東京地図
『最新大東京明細地圖町界丁目界番地入』(1941年)で見た戸塚町界わい

文先生の下宿先や戸塚警察署のあった旧・戸塚町1丁目は、今は高田馬場2丁目になっています。
次回でとりあげる予定の戸塚警察署ですが、当時は早稲田通りから少し奥まった場所に
位置していたことがわかります。文先生の下宿していた所ときわめて近い距離でした。


『平和を愛する世界人として-文鮮明自叙伝』(P.78~P.79より引用)

東京に到着した私は、早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科に入学します。現代科学を知らなくては新しい宗教理念を打ち立てることはできないと考えて、電気工学科を選びました。

目に見えない世界を扱う数学は、宗教と一脈相通ずる面があります。大事を成そうと思えば数理の力に優れていなければなりません。私は頭が大きいせいか、人が難しいと言う数学に長けており、数学を好みました。頭に合う帽子を探すのが大変で、直接工場に足を運んで二度も合わせ直して作ったほど、頭が大きかったのです。一つのことに集中すれば、普通なら十年かかるところを三年もせずにやり遂げてしまえるのも、大きな頭のおかげかもしれません。

日本留学時代も、韓国にいた時と同じように、先生方に向かって質問を浴びせました。一度質問を始めると、先生の顔が赤くなるまで質問し続けました。そのせいで、「これをどう考えますか」と質問しても、ある先生などは最初から無視して私を見ようともしませんでした。しかし私は、疑問が生まれると、必ず根っこまで掘り下げて解決しなければ納得できないのです。先生を窮地に追い込むのが目的ではありません。どうせ勉強するなら、それくらい徹底してやらなければ意味がないと思いました。

下宿した家の机には、常に英語、日本語、韓国語の三種類の『聖書』を並べて広げておき、三つの言語で何度も何度も読み返しました。読むたびに熱心に線を引いたりメモを書き込んだりして、『聖書』はすっかり真っ黒になってしまいました。
 
 
『真の御父母様の生涯路程1』 第五節「日本東京留学時代」より引用

 早稲田大学の高田馬場の道を、一日に二度ずつ歩きました。よく歩きました。皆さんがそのような心で、早稲田の戸塚町を高田馬場から歩くことを願います。そこにある曲がった道、そこにある電信柱など、皆さんが記憶できる所には、先生の涙が染み込んでいると考えても間違いありません。

        ☆                   ☆

 私は、電気工学を学んだ人なのですが、学校に行って、学校の先生に質問すると先生たちがみな困るのです。私の顔さえ見れば、「こいつはまた、どんな質問をするか」と思うのです。ひっきりなしに質問するので、自分の手に負えないのです。

 学生時代に、私は先生を理論的にコーナーに追い込んで、いつもひどい目に遭わせました。ですから、先生は講義しながら、私がいつ立ち上がるかと、ちらちら見ていたのです。普段は話をしません。しかし、先生に一度質問し始めると、答えることができなくなるまで質問するのです。私が一度立ち上がって質問を始めれば、先生の顔が真っ赤になるまで質問するのです。特に理論や弁論のような時には、先生くらいは問題になりませんでした。友達も相手になりませんでした。

        ☆                   ☆

 先生が日本の地で下宿を探す時、門前払いに遭ったことが多かったのです。それを思うと、「日本」という言葉だけ聞いても、頭が痛いほどです。けれどもサタンの子を、神様の理想的な子女より、もっと愛さなければなりません。それが神様の心情です。そのように考えながら、一人で何千回も忠告しながら、ここまできたのです。それは本当なのです。

 先生は以前、先生が下宿したいろいろな所を思い出しながら、その中の一つの下宿屋を訪ねました。そして下宿屋のおばさんに会ってきました。

 その時の百円というのは大きいお金です。その時代に下宿代がいくらだったか知っていますか。一ヵ月に十一円でした。

 先生は留学時代に下宿で過ごしましたが、今も忘れられないことがあります。下宿のおじさんが毎日酒を飲んで遅く帰ってきて、夫人をやたらに殴るのです。そしてその夫人も、性格や気質がそんなに従順な方ではありませんでした。そうなれば夫人も神経質になって「ああ!」と叫べば、町内全体が騒がしいのです。先生も寝ていて、そのために目覚めたことが何度もありました。


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