12月23日(天一国六年天暦11月17日)礼拝内容要旨
『私たちができるお祈り』〔朴聖煕教会長〕
み言訓読
天聖経 P.370
先生は、神様を愛し、世界を愛し、人類を愛しました。先生が願うことは、先生を愛する前に神様を愛することです。先生が母親なら母親に、子女なら子女に教訓を与えるものが何かと言えば、神様を愛する前に先生を愛してはいけないということです。ですから、神様を愛するために、先生が千里、万里の巡礼の道に出かけたとしても、寂しく思ってはいけないというのです。皆さんは、先生を愛する前に神様を愛さなければならず、世界人類を愛さなければなりません。
先生は、祈りが最も威力のあるものと信じています。不可能を可能にすることができるからです。統一教会では祈りを強調しますが、他の特別な方法で祈るのではありません。しかし、その内容は異なるのです。「自分自身のために祈ってはいけない」というのが先生の教えです。自らの使命のために、そして他の人のために、また自分の祈りが慰労の言葉として神様に伝えられるようにしなさい、と教えています。
天国行きと地獄行きは、どこで決定するのでしょうか。「私」によって決定するのです。体の五官を通して感じる条件の中で、良心の呵責を感じる生活をする人は地獄にいます。心を中心として、心が喜べる生活をする人は天国にいます。ですから、人が物欲と悪心を捨てて、良心を中心として天倫を望むのは、極めて当然のことなのです。
テサロニケの信徒への手紙5章16~18節
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
マルコによる福音書14章6節
アバ、父よ、あなたには、できないことはありません。どうか、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころのままになさってください。