第3回-猫頭山(ミョドゥサン)
15歳(1935年4月17日/復活節)~
「Google Mapで訪ねる主の路程」は、文鮮明先生がお生まれになり歩まれた場所や、死の道を何度も越えて行かれた文先生の苦難の歩みとそのゆかりの地をGoogle Mapで訪ねるコーナーです。第3回は、当時15歳(数えで16)の文先生が徹夜の祈祷の末、復活祭の朝にイエス様に出会われた猫頭山(ミョドゥサン)です。
〈お断り〉ここで紹介する内容は、Web担当者が独自に調べ推測したものであり、すべて確証が得られているとは限りません。また教会本部の公式見解でもありません。あくまで参考情報としてご覧になってください。より正確な情報や確実な情報をご存じの方はご一報ください。
▲定州の生家から見える猫頭山(ミョドウサン)/復活祭の朝、イエス様に出会われた15歳の文先生
猫頭山(ミョドゥサン)標高約310m(現・平安北道定州市)
1919年発行「定州」地図で見た生家と猫頭山
▲1919年「定州」地図で見た生家から猫頭山への道(クリックで拡大表示)
「納清亭・平安北道亀城郡・定州郡」1919年2月〔陸地測量部、朝鮮総督府発行〕
上のトリミングした地図では、文鮮明先生の生家は左下隅にあります。そこから、右上の猫頭山まで登るまでの道を追ってみてください。山の麓にある徳興長老教会に寄ったあと、右手に回り込むと、猫頭山への山道があります。山道は標高200mぐらいで途切れているので、そこから頂上へ行く道は、きっとけもの道だったことでしょう。
Google Earthプラグインを追加しておくと、[Earth]ボタンを
呼び出すことでこのように猫頭山の山容を体感することができます。
『平和を愛する世界人として-文鮮明自叙伝』(P.61~P.63より引用)
誰も容易に答えられない問いなので、答えを得るには祈るしかありません。私を苦しめる心の問題を神様に打ち明けてお祈りしていると、苦しみも悲しみも消えていって、心が楽になります。祈る時間は次第に長くなりました。祈りで夜を明かす日も、一日また一日と増えていきました。そしてとうとう、神様が私の祈りに答えてくださる日がやって来ました。それは何物にも代えがたい貴重な体験で、その日は、私の生涯に最も大切な記憶として残る、夢にも忘れることのできない一日です。
十五歳になった年の復活節(イースター)を迎える週でした。その日も、いつもと同じように近くの猫頭山(ミョドゥサン)に登って、夜を徹して祈りながら、神様に涙ですがりつきました。なにゆえこのように悲しみと絶望に満ちた世界をつくられたのか、全知全能の神がなぜこの世界を痛みの中に放置しておられるのか、悲惨な祖国のために私は何をしなければならないのか。私は涙を流して何度も何度も神様に尋ねました。
祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、イエス様が私の前に現れました。風のように忽然と現れたイエス様は、「苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」と語られたのです。
その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、その声をはっきりと聞きました。イエス様が現れた時、私の体はヤマナラシの木が震えるように激しく震えました。その場で今すぐ死んでしまうのではないかと思われるほどの恐れ、そして胸が張り裂けるような感激が一度に襲いました。イエス様は、私がやるべきことをはっきりとお話しになりました。苦しんでいる人類を救い、神様を喜ぶようにしてさしあげなさい、という驚くべきみ言でした。
「私にはできません。どうやってそれをするのでしょうか。そんなにも重大な任務を私に下されるのですか」
本当に恐ろしくてたまらず、何とか辞退しようとして、私はイエス様の服の裾をつかんで泣き続けました。
『真の御父母様の生涯路程 1』「第一章 真のお父様の誕生と内的準備」より
<十六歳(数え年)の復活節の朝>
先生は数えの十六歳の時に、非常な経験をしました。復活節の朝、長時間の涙ながらの祈祷の果てに、イエス・キリストが先生に現れて、多くの啓示と教示を下さいました。イエス様は、奥深く驚くべきことに対して、多くのみ言を語ってくださいました。「苦痛を受けている人類のゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる」とおっしゃいました。そして先生に、「地上での神様の役事に対する、特別な役割をしてほしい」と要求されました。
先生が、幼い時体験したこの経験を、言葉で皆さんにみな表現するというのは、大変難しいことです。一言で言って、霊的な世界が突然本人の前に広がり、先生は自由に、その霊的な世界にいる聖者たちと思う存分通信できるようになりました。北朝鮮の地、静かな山中で、先生は何度もイエス・キリストと直接対話をしました。その時に啓示された真理の内容が、今の「統一原理」の核心になるのです。
それが啓示の始まりでした。その特別な出会いがあった時から今まで、私は生きていらっしゃる神様と、イエス様を含めた霊界のすべての聖賢たちと、絶えず対話をしてきました。その内容は、言葉ではすべてを表現することはできません。
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