Google Mapで訪ねる主の路程(10)-京畿道警察部による逮捕と拷問


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第10回-京畿道警察部による逮捕と拷問(1944年10月~45年2月)

「Google Mapで訪ねる主の路程」は、文鮮明先生がお生まれになり歩まれた場所や、死の道を何度も越えていかれた文先生の苦難の歩みとそのゆかりの地をGoogle Mapで訪ねるコーナーです。第10回後編は、留学から帰られた後、京畿道(キョンギド/けいきどう)警察部による逮捕と拷問(1944年10月~45年2月)です。

〈お断り〉ここで紹介する内容は、Web担当者が独自に研究・推論したものであり、すべて確証が得られているとは限りません。また教会本部の公式見解でもありません。あくまで参考情報としてご覧になってください。より正確な情報や確実な情報をご存じの方はご一報ください。

京畿道警察部-京畿道庁 跡(現・ソウル特別市鍾路区 光化門前広場)

京畿道庁 拷問を受けられる文先生の姿をイメージした絵
光化門(クァンファムン)前にあった京畿道庁/拷問を受けられる文先生の姿をイメージした絵


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京畿道(キョンギド/けいきどう)警察部-京畿道庁は、光化門の前にあった

1944年10月、すでに留学から帰っていた文先生が黒石洞(フクソクトン)の自宅にいたとき、警察によって逮捕、京畿道警察部に拘留、激しい拷問を受け、4ヶ月もの期間、取り調べを受けました。
「京畿道警察部」がいったいどこにあったのか。それを調べるためには、日本統治の朝鮮総督府管理下にあった当時、京畿道警察部がどのような行政組織にあるのかを調べました。ヒントは日本の行政組織でした。現在の日本でも、都道府県ごとに警察本部があり、都道府県庁と同一庁舎内や隣接場所に置かれ、実際の警察活動は都道府県警察がコントロールしています。それと同じように、京畿道警察部は、京城府(現・ソウル特別市)を含む京畿道地方全体の警察本部であり、その所在地は京畿道庁に置かれていたのです。
京畿道庁の住所である「光化門通」を頼りに戦前の京城府の地図を広げて探したところ、京畿道庁は現在のソウル市内、光化門(クァンファムン)の前(現在の光化門市民広場)にあったことがわかりました。朝鮮総督府が統治の威光を示すため、景福宮を覆い隠すように、光化門の内側にそびえ立っていたことはよく知られていることですが、それに対して、京畿道を管理する行政組織である京畿道庁が光化門の前にあったのです。

ちなみに、「光化門市民広場」は、2012年2月に行われた天福パレードの出発点でもありました。かつて文先生を拷問した京畿道警察部のあった地から、はからずも拷問の苦役を演じる山車が出発したことになります。

1930年の京城府地図
1930年の京城府の地図より-光化門前にあった京畿道庁

1946年米陸軍発行のソウル市地図
1946年米陸軍発行のソウル市の地図より-”provincial government”は
地方庁や地方官庁を意味する(クリックすると拡大表示します)

朝鮮総督府職員名簿と京畿道警察部
朝鮮総督府職員名簿と京畿道警察部

朝鮮総督府下の警察組織
朝鮮総督府下の警察組織(クリックすると拡大表示します)

朝鮮総督府管理下の警察組織を見ると、「道」の下に「警察部」が組み込まれています。京畿道警察部のような「道警察部」は、警察の実行機関として、より重要な事案を処理し、より軽易な事案については地域の「警察署」レベルに任せる形の組織になっています。都道府県警察を警察の中心的な実行機関とする現在の日本の組織と基本的に同じスタイルと言えます。


『平和を愛する世界人として-文鮮明自叙伝』(P.92~P.93より引用)

ところがその年の十月、新婚の家に突然日本の警察がやって来て、「早稲田大学の経済学部に通っていた誰それを知っているか」と尋ねるなり、答えも待たずに私を京畿道警察部に連行しました。共産主義者として引っ張られていった友人の口から、私の名前が出たことが理由でした。
警察に連行された私は、いきなり拷問を受けました。

「おまえも共産党だろう?内地に留学して、そいつと同じ仕事をしただろう?おまえがいくら違うと意地を張っても無駄だ。警視庁に照会すれば分かるようになっている。こんな所で犬死にしないように、共産党の奴らの名前を全部吐くことだな」

日本で同じ活動をしていた友人の名前を吐けと言って、机の脚に使う角材が四本とも壊れるほど殴られましたが、私は最後まで話しませんでした。

すると、次に警察は、黒石洞の新婚の家を家捜しして日記帳を押収しました。彼らは日記帳を一枚一枚めくっていって、友人の名前を突き止めようとしましたが、私は死を覚悟して知らないと突っぱねました。
戦争は終わりの時が近づき、焦りの色を濃くした日本の警察の拷問は、とても言葉で言い表せないほど残酷でした。彼らは鋲を打った軍靴で私の体を容赦なく踏みつけ、私が死んだようにぐったりすると、天井に吊して揺らしました。精肉店の肉塊と化した私の体は、彼らが押す棒に任せてあちこち揺れ動き、口からは鮮血がほとばしってセメントの床を濡らしました。何度も気を失い、そのたびにバケツ一杯の冷水をかけられ、意識が戻ればまた拷問です。鼻をつまんで、洋銀製のやかんを口の中に突っ込み、大量の水を無理やり飲ませる拷問もありました。床に倒れた後、カエルのように膨れ上がったおなかを軍靴で踏みつけます。食道を通って上がってきた水を吐き出すと、目の前が真っ暗になって何も見えませんでした。そんな拷問を受けた日は、食道が燃えるように痛み、水っぽい汁でさえ一口も喉を通らず、剥き出しの床に力なく俯になって、ぴくりとも動けませんでした。


『真の御父母様の生涯路程1』 第六節「解放直前の最終準備」より引用

先生は学生の時にも、監獄の出入りを当たり前のようにした人です。また日帝の拷問台の前で、図太く振る舞った人です。そのような歴史が多い人です。日本人たちに、たくさん拷問を受けました。彼らの拷問はとてもひどいものでした。若者たちを捕まえて、焼きごてを当てたりしながら拷問をすれば、服のままで大便をしながら、自分がしていないことまでも、「した」と言ってしまうというのです。

日本人が悪いことをしたということを、すべてよく知っているのです。私は、監獄暮らしもしました。日本の高等刑事や特課刑事たちにむち打たれて、水を飲まされ、ありとあらゆることをされた人です。

全四肢に死亡の血が回るほど、また血が何杯もあふれ出るほど、むちでたくさん打たれました。日帝時代には、軍靴を履いた足で腹を蹴られる拷問も受けました。二人が左右から手をつかみ、二人が上から踏むというのです。そうすれば腹の皮がどのようになりますか。破れますか、張り裂けますか。それで便所に行って、一度座ってから立ってみなさい。それは、どんなにつらいことでしょうか。

先生は日帝を滅ぽすと言ったために監獄に入れられて拷問を受けましたが、一番つらいことは何かといえば……。一度やってみなさい。角材を持ってきてここに置いて……。日帝時代には軍隊で履く革靴があったのです。鋲を打ってカツカツと音がするその革靴で踏むのです。それは、やられてみない人には分からないのです。

日帝時代に、先生はどんなに監獄に入れられて、飛行機の拷問をされ、電気の拷問をされても、びくともしませんでした。「打て、こいつら! 打て! お前の棒が強いか、私の決心が強いか、ためしてみよう」と、そのような闘いをしてきたのです。監獄に入っていき、一日中たたかれ拷問される立場にあっても、板の破片に縛りつけられ、ねじ曲げて絞られる時にも、「こいつら、やってみろ、こいつら」と思いながら、耐えたのです。

怨讐の許しと祝福

私を監獄に閉じ込めても、私の心と私の理念は閉じ込められません。私を打てというのです。打てば今まで私が神様の前に歩いてきた道と、神様が築いてこられた道とが連結されるというのです。ですから、怨讐を愛することのできる心がどんなに強いか鑑定しろというのです。打つならば打て! 私がお前を憎むか、憎まないか。むちで打たれて血を吐きながらも、「ああ! よく打たれた。歴史的なすべての怨恨の人類に代わって殴られた。私は殴られても忘れよう。記憶しないようにしよう」と思いながら、「神様! 彼らを許してください」と祈ったならば、それはどんなにすてきですか。その立場を越えなければならないのです。そのためには、私自らを殺す立場に立てなければなりません。そうすれば簡単だというのです。

昔、日帝時代、監獄で私をひたすらに踏んでは殴った人がいました。その時私が考えたことは、怨讐を愛せというけれど、踏んで殴られると、私の性格ならばすぐに足でけり返してしまうはずなのに、「こいつ、さあ、お前やってみろ。耐えてやろう。死ぬ境地に行っても耐えてやろう」と、そのように考えたのです。

私は彼らに怨讐のようには対しませんでした。彼らに福を祈ってあげるべき責任が私に残っているために、彼らの何を見て福を祈ってあげるかを研究しました。監房で悩みながら研究したのです。しかし人には良心があるので、朝、人々がみな出たあとに、誰にも分からないように私に謝罪するのです。それが人なのです。それを見れば、人間は誰でも同じだというのです。彼らも良心は欺けないというのです。


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